少し前に書いた記事を書き直してみたよ😃
今病気1年半ぐらいだけど、これは1年ぐらいの時に書いた記事。
急性期の私はといえば、何か悟ったような気分になり、医者の意見がまともに聞けなかった。「私の方が詳しい」って何故か思ってた。なので入院にも反発した。私は病気じゃないって。「とりあえず病棟に行こう、それから話を聞く」と言われるも話を聞いてくれず、行った先は家族とも会えない閉鎖病棟なんだと知った時はなんとなく騙された気分になった。悲しいのと悔しいのと現実を受け入れきれないのと色々な感情があったがうまく表現できずに、言葉にならない声が抑えられず、就寝時間を過ぎても「あーーー」とか「うーーー」とか言ってた。施設中にティッシュを撒き散らして歩いた。物に当たった。暴れたら病院側が預かり拒否みたいになって解放されるんじゃなかろうか、とその時は何故か思ったから。当然だけど保護室という鍵付きの牢屋みたいな部屋に入れられた、大人8人ぐらいに引きずられながら全身全力で抵抗した。不満がたくさんある、あるけど、出し方がわからない。なんだか世界中全てが敵に見えた。
私は入院中、幼少期をやり直した気分でもあった。衝動で動いて抑制が効かない自分をどこか俯瞰的に眺めながら、でもここでも我慢をしたら壊れそうだとも思っていた。長年の我慢が噴出して病気になってしまったのではなかろうか?とも思っている。
担当の看護師にめっちゃ怒られた。最初は福島訛りの怒り方がなんだか母親そっくりで、「何も言わないで」と反発した。「そんなんだったら帰るね」って部屋を出ていってしまった。が、私が少し落ち着いたのもあって、それから、「寂しい!」と正直に伝えたのもあって、ちょこちょこ顔を出し話を聞いてくれるようになった。入院に納得できないこと、医者が話を聞くと言ったのに全然来ないことを伝えた。言われたのは、「それは納得できないわ。でも暴れてはダメよ。涙を流しても良い、上手く言えなくてもいい。でもちゃんと自分の言葉で伝えるの。味方だから。急に暴れるんだもん、そんなの知らなかった~。」以後、この看護師とは不満も全て相談するようにして、おしゃべりもできるようになった。いまだに病院でたまに見かけるが、大好きになってしまって見かけると手を振りたくなる、というか振る。
ベッドを改造してまた怒られる。病棟では怒られることがたくさんあったけど、ホワっと何か母親の愛みたいなものを感じ、良い子演じてきた私には新鮮なのでした。また、母親像をひとつ塗り替えた気分でもあった。何か言っても責められるだけではないのね、相談しても良いのねと。私の母親は話が通じない人だったから、女性に対しての不信感があったのでした。
病気になってみて、本音に蓋をしないって大事だなあと思った。
病気になっていなかったら、と思うことがある。我慢を続けていたのではないか、人に頼ることができなかったんじゃないか、一生本音で話すことがなかったんじゃないか、相談できずに一人で抱え込んでいたんじゃないか…
ECTという脳に電気を流す、電気けいれん療法もあり、実は結構効果があるらしい。が、あっけなく治ってしまうため患者が自分の病気について振り返ったりしないし、再発率も高い傾向にあるそうだ。
ここまで回復するのに約1年ぐらい費やしたが、大変な思いをしてやっと人間って自分のことを振り返ったり見直したりするのかなと思う。この病気と付き合っていくしかないのか、とちょっと覚悟ができないが、仕方ない!という感じ。嫌だったけど、得たものはあったよ。
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